アレッツォ観光ガイド
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※写真・イラストは全てイメージです。ご旅行中に必ずしも同じ角度・高度・天候での風景をご覧いただけるとは限りませんのでご了承ください。
アレッツォの広場

イタリアで最も美しい広場の一つと言われるグランデ広場は、特にアレッツォ史における中世の痕跡が色濃く残っています。かつて共有広場だったグランデ広場は広大な空間を持ち、中世には青空市場として利用されていました。1200年に現在のガリバルディ通りを横切る新たな城壁(6番目)が築かれた後、続けてグランデ広場が整備されました。

広場は北に向かって現在のロッジア(回廊)宮殿の向こう側まで広がり、1593年にメディチ家コジモ1世の命令で破壊された、かつて町の行政府だった2つの主要な宮殿トッレ・ロッサ宮殿とカピターノ・デル・ポポロ宮殿に囲まれていました。台形状の斜面(勾配:約10メートル)に造られた広場は、周りを13-18世紀に建てられた重要な歴史建造物に囲まれています。
上空から見たグランデ広場
グランデ広場西側
上空から見たグランデ広場
グランデ広場西側(13-18世紀)
広場西側にあるピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の後陣は、1864-78年に大がかりな修復と改修が行われたにもかかわらず、今もなおロマネスク様式の特徴を保っています。
広場から半円形の階段(1780年)を上ると、教会後陣の横には18世紀の建造物である元裁判所宮殿がそびえています。かつての裁判所宮殿は、ローマ出身の建築家フランチェスコ・チェッロッティによって設計されました。
さらにその横には、アレッツォのルネサンス建築の代表作の一つである、1262年に創設されたフラテルニタ・デイ・ライチ慈善会のフラテルニタ・デイ・ライチ宮殿が建っています。
元裁判所宮殿
フラテルニタ・ディ・ライチ宮殿
元裁判所宮殿(18世紀)
フラテルニタ・ディ・ライチ宮殿(14-16世紀)

ファサードの建設は1375-77年に着工され、フィレンツェ出身のバルディーノ・ディ・チーノとニッコロ・ディ・フランチェスコの設計を基に、正面玄関と両側の片開き式窓が造られました。

1433-60年にはベルナルド・ロッセッリーノ(1409-64年)の監督の下に工事が続行され、正面玄関上部の壁龕に彫られたローレリーフの「聖母子」「聖ドナート」「福者グレゴリオ5世」(1435年)は、フィレンツェ近郊のセッティニャーノ出身の作家による作品です。
その上のバラスター(手すりをささえる小柱)状の小回廊は、ジュリアーノとアルゴッツォのダ・セッティニャーノ兄弟の作品(1460年)です。

日々時を告げ、月と太陽の動きを示してきた時計塔とアーケード式鐘塔の起源は1552年まで遡り、美しい時計塔はフェリーチェ・ダ・フォッサートの作品です。

広場南側にある切り石造りのコファーニ・ブリッツォラリ宮殿(セテリア通り6番地)は、12世紀の塔と15世紀の建物からなり、特に興味深いのは宮殿内のサロンと中庭です。1920年代末に宮殿全体が、大規模な修復を余儀なくされました。

16世紀半ばにはセテリア通りの入り口に公共噴水が整備され、今日でもその噴水が見られます。ボルグント通りの手前にある15世紀の屋根付き井戸は、1932年に再建されました。

広場の東側は木製バルコニーで飾られた中世の典型的な邸宅が建ち並び、特に13世紀の煉瓦造りの家が際立っています。それらの家々を見下ろすようにラッポリ宮殿ボルグント通り38番地)が建ち、その横に高い塔がそびえています。1920年代末に修復されました。

広場の北側は16世紀末期に建てられたロッジア(回廊)宮殿が、北側を閉じるように広場に面して建っています。
グランデ広場南東側
グランデ広場南東側(13-18世紀)
中世の典型的な邸宅の木製バルコニー
中世の典型的な邸宅の木製バルコニー
グランデ広場の屋根付き井戸
グランデ広場の屋根付き井戸(15世紀)
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
毎月第一日曜日とその前日の土曜日に、ヨーロッパで3番目に大きい骨董市がアレッツォで開かれます。グランデ広場と隣接する路地や通りに屋台が並び、世界中から古物商や収集家、旅行者がやって来ます。骨董市の創設者であるイヴァン・ブルスキ(1920-96年)の主導によって、1968年からアレッツォは骨董の中心地として世界中にその名が知られるようになりました。
グランデ広場の骨董市
グランデ広場の噴水
グランデ広場の骨董市
グランデ広場の噴水(16世紀半ば)
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
グランデ広場の「ジョストラ・デル・サラチーノ」
グランデ広場の「ジョストラ・デル・サラチーノ」
グランデ広場の「ジョストラ・デル・サラチーノ」
グランデ広場の「ジョストラ・デル・サラチーノ」

毎年6月の最終土曜日(夜間)と9月の第一日曜日(日中)の年2回、「ジョストラ・デル・サラチーノ」がグランデ広場で開催されます。

中世初期に展開されたキリスト教徒の騎士とサラセン人の戦いを再現した催し物は、長い間中断されていましたが、1931年に再開され、今日では町を挙げての中世を追想する伝統行事となっています。(サラチーノを言及する最初の資料によると、1535年8月6日に第1回目の競技が行われたとされています。)

旧市街地が「ポルタ・サン・タンドレア」(白と緑の旗)「ポルタ・クルチフェラ」(赤と緑の旗)「ポルタ・デル・フォロ」(黄色と深紅の旗)「ポルタ・サント・スピリト」(黄色とブルーの旗)の4地区に分かれ、各地区の代表騎士8名(4地区×2名ずつ)が全速力で疾走し、サラセン人を模した人形の標的を槍で突いて競います。最高5点から0点まで、2回の疾走の合計点の高い地区が勝者で、勝者には金の槍が贈られます。

この催し物はグランデ広場で競技が行われるだけでなく、競技に先立って行われる時代行列も非常に素晴らしいです。中世の衣装を身にまとった旗手や太鼓隊、領主、騎士など、総勢300人が町の通りを練り歩きます。中でも世界的に有名なアレッツォ旗手団によるエキシビションが見もので、前方宙返りや大きな旗を放り投げたり回転させたりするダイナミックな演技が披露されます。

「ジョストラ・デル・サラチーノ」については、その研究において第一人者であったエンツォ・ピッコレッティ(1996年2月3日没)をぬきにしては語れません。情熱的でたくましいアレッツォ人の気質を証言した著書「アレッツォの大地への賛歌」(1982年、Poligrafico Aretino出版)の中で、彼は町への熱い思いを語っています。
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
グランデ広場の北側には、1572-95年にジョルジョ・ヴァザーリの設計を基に、広場の垂れ幕の役目をする巨大なロッジア(回廊)宮殿が建てられました。中世都市国家の象徴だったかつての行政府の宮殿が破壊されたために、空洞化した広場の北側を隠すかのように、1570年に宮殿の建設が決定されました。トスカーナ大公に許可を求めた結果、巨匠ジョルジョ・ヴァザーリにこの建設計画が委ねられました。
工事は1572年11月に着工され、1574年6月27日に63歳で亡くなったジョルジョ・ヴァザーリに代わり、1595年にアルフォンソ・パリジの監督の下に完成しました。
ロッジア(回廊)宮殿
ロッジア(回廊)宮殿の回廊
ロッジア(回廊)宮殿(1572-95年)
ロッジア(回廊)宮殿の回廊(1572-95年)
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用

ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画「聖十字架伝説」で有名なサン・フランチェスコ教会前の長方形状のサン・フランチェスコ広場は、グイド・モナコ通りと旧ヴァッレルンガ街道(現カヴール通り)が交差する町の最も古い地区にあります。

現在の広場の外観は、グイド・モナコ通りの開通とフランチェスコ修道院の撤去に伴い、その大部分が1870年代に拡張されました。教会の向かい側にはかつてコスタンティ・アカデミーの本部があったランバルディ宮殿がそびえ、1804年創業の老舗カフェ「カフェ・ディ・コスタンティ」があります。
サン・フランチェスコ広場
サン・フランチェスコ広場(1870年代)

広場の東側にはパスクアーレ・ロマネッリ作「ヴィットリオ・フォッソンブローニ」記念像(1864年)が建っています。水利技術者で文化人、政治家でもあったフォッソンブローニ(1754-1844年)は、1754年9月15日にアレッツォで生まれ、ナポレオン・ボナパルトが信頼を置く技術者・外交官として活躍しました。ヴァルディキアーナ地方の開墾事業に貢献した人物として、特にその名が知られています。

教会に隣接して建つかつての「キアーヴィ・ドーロ」ホテルは、アレッツォ市立近代・現代美術館として2003年12月にオープンしました。

この素晴らしい広場を始め、旧市街地のあちこちで、1998年にアカデミー主演男優賞・外国語映画賞を受賞したロベルト・ベニーニ監督の映画「ライフ・イズ・ビューティフル」が撮影されました。
サン・フランチェスコ広場の老舗カフェ「カフェ・ディ・コスタンティ」
1920年当時のサン・フランチェスコ広場
サン・フランチェスコ広場の老舗カフェ「カフェ・ディ・コスタンティ」(1804年創業)
1920年当時のサン・フランチェスコ広場
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用
町の北側を取り囲む中世の城壁の近くにあるサン・ドメニコ広場からは、近くのポッツォロ門ストゥフィ門サン・クレメンテ門まで歩いて行くことができます。緩やかな傾斜地となっている広場は、アーケード式鐘塔が見下ろす14世紀のサン・ドメニコ教会の正面に広がっています。
輪郭を描くように周りに並木が植えられた広場には、教会裏手のメディチ家時代の城壁を背景に、瞑想的で暗示的な独特の雰囲気が漂っています。最近の改修工事で、広場は煉瓦で床張りが行われました。
サン・ドメニコ広場
サン・ドメニコ広場の向かい側
サン・ドメニコ広場(14世紀)
サン・ドメニコ広場の向かい側
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用
三角形の形をしたポポロ広場は、半円を描くように旧市街地を東西に走るガリバルディ通りに面しています。19世紀半ばにバディア畑の土地整備が行われた際に、この広場が建設されました。バディア修道院に隣接する広大な敷地は、長い間穀物市場として使われてきました。
かつて「小麦の回廊」と呼ばれていた市場の建物は、今日でも広場北側に残っています。修復された後に、現在は市当局の事務所として使われています。広場の反対側には、ジュゼッペ・アレティーニが制作したイタリア国家統一運動の戦没者を称える記念碑(1880年)が建っています。広場南側を塞ぐようにして建つアレッツォ中央郵便局の建設(1924-29年)で、広場の占有面積は大幅に減少しました。
ポポロ広場のバディア宮殿
ポポロ広場
ポポロ広場のバディア宮殿(19世紀)
ポポロ広場(19世紀半ば)
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用
19世紀に近代化事業の一環として整備された広場は、城壁に囲まれた町を縦断・横断する2本の主要幹線道路が交差する町の中心ロータリーとなっています。当時開通されたアレッツォ鉄道駅と旧市街地の間を縦断する 、グイド・モナコ通りが1870年に開通されました。一方、広場を横断する直線道路(ペトラルカ通り-ローマ通り-クリスピ通り)も開通され、19世紀後半から20世紀前半にかけてその周辺の都市化が進みました。
直径100メートルの広場の中心には、サルヴィーノ・サルヴィーニ作「グイド・モナコ」記念像(1882年)が建っています。音階ドレミファ・・・♪の発明者であるグイド・モナコ(991-1050年)を記念して、アレッツォでは毎年9月に国際合唱コンクールが開催されます。
グイド・モナコ広場のサルヴィーノ・サルヴィーニ作「グイド・モナコ」記念像
上空から見たグイド・モナコ広場
サルヴィーノ・サルヴィーニ作「グイド・モナコ」記念像(1882年)が建つグイド・モナコ広場(19世紀後半-20世紀前半)
上空から見たグイド・モナコ広場
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用
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