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プラトヴェッキオ観光ガイド
中世のプラトヴェッキオは、ロメーナ城などカゼンティーノに多くの城を持ち、現在のカマルドル修道院を建設したグイディ伯爵家の領地でした。グイディ家のマルコヴァルド伯爵は、今日でもヴェッキア広場の周囲に見られる要塞の城壁を築かせました。1437年には都市国家プラトヴェッキオに、旗の紋章として後足立ちの獅子が与えられました。
プラトヴェッキオ・グイディ伯爵家の決定的な敗北によって、町はフィレンツェの支配下に移り、その後何世紀も渡ってフィレンツェと緊密な関係を持つことになります。周囲の森林もグイディ伯爵家から没収され、最初はフィレンツェ教会建物管理部が所有し、次いでトスカーナ大公国に、最後はロレーヌ家の私有財産となりました。このように常に彼らの防衛や体制の都合で、町の森林管理事務所が転属させられてきました。材木はレーニ通りに沿ってバディアまで運ばれ、トスカーナ大公国の船団の建設にも使われた材木は、アルノ川の増水を最大限に利用しながら、バディアからフィレンツェやピサに向けて送られていきました。
プラトヴェッキオの町並み
プラトヴェッキオの町並み

実際町にカゼンティーノ森林国立公園の本部が置かれているように、プラトヴェッキオの歴史は常にその森林の自然美と壮観なファルテローナ山と関係してきました。多種類の植物群が生息し、最高の気候と豊かな歴史と文化に育まれた谷のおかげで、年中旅行者や訪問者が絶えません。町は色々な催し物や歴史的価値の高い芸術作品など、旅行者に必要な全てのサービスを提供しています。

プラトヴェッキオが輩出した有名な画家に、パオロ・ディ・ドーノ(通称パオロ・ウッチェッロ、1397-1475年)やフィレンツェでギルドを創設したヤコポ・ランディーニ(別名ヤコポ・ダ・プラトヴェッキオ、1297-1358年)がいます。哲学者で古典学者でもあったクリストフォロ・ランディーノもプラトヴェッキオ出身です。

他のカゼンティーノの歴史地区同様、プラトヴェッキオ歴史地区は中世の面影を色濃く残しています。石畳の細い路地や歴史建造物が建ち並ぶ町の中央にはめ込まれたように造られた広場、それらを取り囲む長い柱廊アーケードなど、今日でも古い時代の雰囲気がそのまま保存されています。

ポッピからプラトヴェッキオに着くと、町の入り口のすぐ右手に、11世紀に建立されたサンタ・マリア・ア・ポッピエーナ教会(通称バディア教会)があります。1099年にロメーナのグイディ伯爵家アルベルトとウーゴがカマルドリ修道院長に寄贈した教会内には、ジョヴァンニ・ダル・ポンテ(1385-1437年)制作の「受胎告知」(15世紀)が保存されています。

町に入ると、プラトヴェッキオ出身の偉大な画家パオロ・ウッチェッロの名前が付けられたパオロ・ウッチェッロ広場(通称ノーヴァ広場)があります。歴史地区はヴェッキア広場の周りに集中していますが、今日町の社会活動の中心はこのノーヴァ広場となっています。緑に包まれた大きな広場には、大きな噴水があります。
上空から見たノーヴァ広場
天守閣の塔
上空から見たノーヴァ広場
天守閣の塔

続いて12世紀にグイディ伯爵家によって築かれた天守閣を取り囲む塔の下の横断歩道を渡ると、ヤコポ・ランディーノ広場(通称ヴェッキア広場)に着きます。町の歴史・文化・建築上最も重要なこの広場にも、プラトヴェッキオ出身の偉大な画家ヤコポ・ランディーニの名前が付けられています。周りの殆どが柱廊で囲まれた広場には、2つの美しい宮殿が建っています。カゼンティーノ森林国立公園の本部が置かれたヴィジャーニ宮殿と、建物の一角に飾られた一族の紋章が一際目立つナルディ・ベルティ宮殿です。

ヴェッキア広場には他に、町の主要教会である16世紀のサンティッシモ・ノーメ・ディ・ジェズ教会が建っています。天守閣の横に建設された教会は、町で最も古い歴史の中核を成し、唯一の身廊と16世紀の典型的な木製羽目板で天井を覆われています。17世紀のタブロー画やより最近のフレスコ画が保存されており、中でも1400年の木像「十字架上のキリスト」やマエストロ・デル・ヴァルルンゴ制作のタブロー画「聖母子」(13世紀)、ジョヴァンニ・デル・ビオンド制作の三幅対祭壇画「聖母子と聖人たち」(14世紀)と他の絵画2枚、フランチェスコ・マーティ作「ロザリオの聖母マリア」(1589年)に注目できます。
ヴェッキア広場
カゼンティーノ森林国立公園の本部が置かれたヴィジャーニ宮殿
ヴェッキア広場
カゼンティーノ森林国立公園の本部が置かれたヴィジャーニ宮殿

サンティッシモ・ノーメ・ディ・ジェズ教会右の通りの奥に、11世紀に聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタのために建立されたカマルドリ女子修道院があります。付属の教会にはポントルモ派画家ジョヴァンニ・ビッツェッリ(1556-1612年)制作のタブロー画「聖なる乙女マリアの戴冠」(1600年)が保存されています。その隣には、16世紀に「雪の聖母マリア」のために建立されたドメニコ女子修道院があります。付属の全聖人教会には、無名作家による「聖なる乙女マリアの戴冠」(16世紀)やフランドル派の画家による「聖なる乙女マリアの被昇天」が保存されています。

ドメニコ女子修道院から少し離れたメッツォ地区には、ロッビア工房の美しい彩釉テラコッタが飾られた壁龕があります。さらにその先のガリバルディ通りに入ると、両側を柱廊で囲まれた美しい歴史地区の散策を楽しむことができます。
ロッビア工房の彩釉テラコッタが飾られたメッツォ地区の壁龕
プラトヴェッキオ歴史地区の柱廊アーケード
ロッビア工房の彩釉テラコッタが飾られたメッツォ地区の壁龕
プラトヴェッキオ歴史地区の柱廊アーケード

今日プラトヴェッキオの町の中心である場所は、11世紀までサンタ・マリア・ア・ポッピエーナ教区に属する集落でした。領主であったロメーナのグイディ伯爵家はアルノ川左岸に彼らの宮殿を建設しましたが、周辺の村落は城壁に防護されていませんでした。1334年にグイディ伯爵家マルコヴァルドの命令によって、集落を取り囲む城壁と城の塔が築かれ、今日でもその痕跡が残っています。グイディ伯爵家の支配は1440年まで続き、その年にフィレンツェ共和国はプラトヴェッキオに行政長官を送り込みました。城壁に囲まれた主要な建物は、グイディ伯爵家の邸宅や天守閣、カマルドリ女子修道院と付属の教会、公共の礼拝堂でした。サンタ・マリア・ア・ポッピエーナ教区に属する村民が距離的に遠いことから教区教会に行くことができないために、これらの付属の教会や公共の礼拝堂でミサが執り行われていました。

ロマネスク様式の簡素なこの礼拝堂はドメニコ女子修道院とメッツォ地区の間に建ち、今日同女子修道院が所有しています。1525年に加工石でできた洗礼盤がある小さな洗礼堂が礼拝堂に造られ、サンタ・マリア・ア・ポッピエーナ教区司祭が村民に洗礼や礼拝などの儀式を提供しました。1572年にシラクサ出身のドン・ヴィンチェンツォ・ガラッシの尽力によってドメニコ女子修道院が建設され、修道院横のこのヴェッキア礼拝堂は修道女たちに使用が認められ、同時に教区民の礼拝のためにも使用されました。
ドン・ヴィンチェンツォ・ガラッシは1570年にイエス・キリストに捧げられた男女のイエズス会も創設し、公共使用のための新しい教会の建設を信者に促しました。町の裕福層の支援の下で1592年に新教会の建設が着工されますが、1594年に工事が中断されます。翌年の1595年以降、何度も中断されながらも工事が続行され、1616年にようやく完成しました。その数年後には天守閣の塔が破壊され、塔に吊り下げられていた大きな鐘を置くために、新教会横に鐘塔の建設が決定されました。集落の全住民の寄付や援助によって、鐘塔が完成しました。1657年にヴェッキア礼拝堂から新教会に洗礼盤が移され、1670年にスタッコ細工の優雅な中央祭壇と石製のバラスター状の欄干(現在は全く残っていません。)が建てられました。
サンティッシモ・ノーメ・ディ・ジェズ教会
サンティッシモ・ノーメ・ディ・ジェズ教会(17世紀)
1682年にはカマルドリ修道会に属するサンタ・マリア・ア・ポッピエーナ教区司祭によって、秘跡の執行や儀式の挙行が開始されました。1690年に教会内の側面に祭壇(現在は全く残っていません。)が建てられ、1703年に聖具室が建てられました。18世紀前半にはフィレンツェ出身の画家アンジェロ・チョリに、身廊のヴォールトと壁面をフリーズやフレスコ画で装飾することを任せました。彼は入念に手早く作業を完成させましたが、彼が請求した報酬は管理者に承認されず、1753年に訴訟が起こされました。1783年にサンティッシモ・ノーメ・ディ・ジェズ教会は教区教会となり、1896年には自治教会として高い階級の称号が与えられました。

もはや崩れそうになった17世紀の建物の修復工事が1944年に着工されますが、戦時中に工事が中断され、爆撃で教会は激しい損傷を受けました。1945年に建築家P.ラッファエレ・フランチの指揮下で改修工事が完成し、同年9月1日に石製の新祭壇が聖別されました。修復された教会内部は完全に改修されたため、元の17世紀の特徴的な様相や装飾を失ってしまいました。しかしながら、外観に著しい変化はなく、ファサードは2つのスロープで屋根が覆われ、17世紀の加工石でできた美しい玄関が残っています。プラトヴェッキオ出身ダンテ・バルトリーニの作品で飾られた丸天井の円形ガラスもあります。教会の右横には、古い時計付きの鐘塔がそびえています。

教会内には地元の人々に崇拝されてきた彩色木像「十字架上のキリスト」が保存されており、腕を曲げることができるこの木像は15世紀のフィレンツェ派の作品です。他にピエーヴェ・サン・ピエトロ・ア・ロメーナ教会から移された3つの作品に注目できます。チマブエ派の画家による「王座の聖母子」(13世紀末)やフランチェスコ・マーティ作「ロザリオの聖母マリアと14の奇跡」(1589年)、ジョヴァンニ・デル・ビオンド制作の三幅対祭壇画「聖母子と聖ピエトロ、聖パオロ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖アントニオ修道院長」(1386年)は、解体された中央の一幅がこの教会に保存されています。彩色テラコッタ像「聖母子」(15世紀末)は、「雪の聖母マリア」として人々に愛されています。
チマブエ派の画家による「王座の聖母子」
チマブエ派の画家による「王座の聖母子」(13世紀末)
フランチェスコ・マーティ作「ロザリオの聖母マリアと14の奇跡」
フランチェスコ・マーティ作「ロザリオの聖母マリアと14の奇跡」(1589年)

11世紀半ば以降の資料で裏づけされたサンタ・マリア・ア・ポッピエーナ教会は、1099年にロメーナのグイディ伯爵家アルベルトとウーゴがカマルドリ修道院長に寄贈した元修道院でした。15世紀に修道院が廃止された後、教区教会に変わり、1520年に修道院の財産は最終的にカマルドリ修道会の所有となりました。

1935年にジュゼッペ・カステッルッチによって修復された教会は、ファサードの下部が砂岩製の外壁で仕上げられたロマネスク様式で、中央は13世紀の円花窓で飾られています。ゴシック様式の鐘塔は、軽い尖塔アーチとなっています。

半円の後陣がある唯一の身廊を持つ教会内部は、木製の化粧屋根裏天井で覆われています。後陣は広いアーチで導かれ、薄く板状に加工したアラバスターで閉じられた3つの片開き式窓が内部を照らしています。ジョヴァンニ・ダル・ポンテ(1385-1437年)制作の15世紀のタブロー画「受胎告知」や、14世紀の剥離フレスコ画「王座の聖母マリアと聖ベネデット、聖ロムアルド」が保存されています。
サンタ・マリア・ア・ポッピエーナ教会
サンタ・マリア・ア・ポッピエーナ教会(11世紀)
ジョヴァンニ・ダル・ポンテ作「受胎告知」
ジョヴァンニ・ダル・ポンテ作「受胎告知」(15世紀)

聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタに捧げられたヴェッキア広場のカマルドリ女子修道院は、1140年にロメーナのグイディ伯爵家グイド・グエッラ4世とカマルドリ修道院総長アッツォーネの間の合意によって創設されました。この新しい女子修道院は、カゼンティーノに前存した2つのカマルドリ女子修道院(ポッピエーナとカポ・ダルノ)が統一されてできました。

共同創設者のグイディ伯爵家の寄贈によって、このカマルドリ女子修道院の所有地が拡大し、カゼンティーノ史における女子修道院の政治的役割も増大していきました。カマルドリ公文書1143年度の文献によれば、ロメーナのグイディ伯爵家グイド・グエッラ4世の姉ソフィアがこの新しい女子修道院の総長に就き、その後グイディ伯爵家の他の末裔も女子修道院の要職に就きました。
カマルドリ女子修道院
カマルドリ女子修道院(11世紀)
修道院には付属の宿泊所と薬局があり、生薬の実験室も備わっていました。薬剤として使用する薬草を蒸留し抽出するための大きな石製の蒸留器が残っており、内部には炉が付いています。

17世紀に修復された付属の教会には、カマルドリ修道会の紋章が飾られた低いアーチ型のバロック様式の中央玄関があります。唯一の身廊を持つ教会内部は、彩色格天井で覆われ、側壁は2つのスタッコ細工の祭壇で飾られています。玄関扉の上部には、3つのアーチと2本の石製円柱で支えられた聖歌隊席があります。

中央祭壇の後ろには、ジョヴァンニ・ビッツェッリ制作のタブロー画「聖なる乙女マリアの戴冠と三位一体、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖ロムアルド、聖ベネデット」(1600年)が保存されています。他に注目できる作品は、マエストロ・ディ・プラトヴェッキオ作「聖母マリアの被昇天」(15世紀半ば)です。
マエストロ・ディ・プラトヴェッキオ作「聖母マリアの被昇天」
マエストロ・ディ・プラトヴェッキオ作「聖母マリアの被昇天」(15世紀半ば)

カマルドリ女子修道院に隣接して建つドメニコ女子修道院は、1567年に「雪の聖母マリア」のために創設されました。かつて公共の礼拝堂だった修道院横のヴェッキア礼拝堂は、1611年に付属の全聖人教会が新たに建設された後、修道院の所有となり、18世紀に完全に修復されました。

唯一の身廊を持つ教会はヴォールトで覆われ、玄関扉の上部には3つの低いアーチと2本の石製円柱で支えられた聖歌隊席があります。最近の修復工事で、身廊全体を飾っていた18世紀のフレスコ画が明らかになりました。ヴォールトにはドメニコ女子修道会の守護聖母マリアが描かれています。疑古典的様式のフレスコ画は、18世紀半ばにカマルドリ修道士ジュゼッペ・バッカーニによって制作されました。

最近修復された作品に、天使たちによって降り落とされる雪を右手で受ける聖母マリアが描かれた、ヤコポ・ダ・パピアーノ作と思われる「雪の聖母マリア」(14世紀末期-15世紀初期)のタブロー画が保存されています。
ドメニコ女子修道院
ドメニコ女子修道院(16世紀)
ヤコポ・ダ・パピアーノ作「雪の聖母マリア」
ヤコポ・ダ・パピアーノ作「雪の聖母マリア」(14世紀末期-15世紀初期)

プラトヴェッキオから3キロメートル離れたロメーナ城の下にあるピエーヴェ・サン・ピエトロ・ア・ロメーナ教会は、カゼンティーノの素晴らしい眺望の中に建っています。カゼンティーノのロマネスク様式の建築物の中で、最も注目に値する建物です。キリストの十二使徒・聖ピエトロに捧げられた教会はマイオール街道沿いにあり、最初のエトルリア・古代ローマの聖堂の上に建てられました。

現在のロマネスク様式の教会の起源は1152年まで遡り、ファサードは地滑りが原因で崩壊した1678年に再建され、屋根は1712年に修復されました。地元産の砂岩で造られた教会の外部も内部も、長い年月に渡って侵食されながらも、その上品さと洗練さは失われていません。教会左側には、教会以上に古い四角形の鐘塔がそびえています。
ピエーヴェ・サン・ピエトロ・ア・ロメーナ教会
ピエーヴェ・サン・ピエトロ・ア・ロメーナ教会(12世紀)

3つの身廊から成る教会内部は、細部に渡る装飾が施された柱頭を持つ円柱で分けられています。表現力豊かなこれらの円柱は、ロンバルディーアかフランスの流派と思われる熟練の手で彫られました。中央身廊は半円形の後陣で閉じられています。非対称に置かれた中央身廊と側廊の窓からは、あふれんばかりに強い日差しが差し込んできます。

1970年に床面の修復工事の際に行われた調査によると、教会の地下室で昔の建物と思われる石灰質の石でできた遺跡が発見されました。地下室の遺跡には、右側廊にある階段を下りて行くことができます。

数年前まで教会には13世紀の非常に重要な絵画が飾られていましたが、現在はプラトヴェッキオのサンティッシモ・ノーメ・ディ・ジェズ教会のクローチフィッソ(十字架上のキリスト)礼拝堂に移されました。
ピエーヴェ・サン・ピエトロ・ア・ロメーナ教会内部
身廊を支える円柱の柱頭
ピエーヴェ・サン・ピエトロ・ア・ロメーナ教会内部(12世紀)
身廊を支える円柱の柱頭(12世紀)

標高621メートルの丘に建つロメーナ城からは、プラトヴェッキオの町やカゼンティーノの谷一帯が見渡せ、トスカーナで最も由緒ある城の一つと言われています。オルメーナ、あるいはロメーナと言う名前は、発掘作業中に発見された壺や家庭用道具の破片が示しているように、その起源がエトルリアまで遡ります。

ロメーナ城に住み始めたグイディ伯爵家の初代当主アルギノルフォは、隣接する全領土を所有していました。彼はグイディ伯爵家の分家として勢力を伸ばし、やがて有名になった城は、近隣の他の領土や城を支配下に置くまでに強力になっていきました。

この城にダンテが滞在しながら、まさにここで「神曲」の構想のインスピレーションを受けたと言われています。ダンテの名を不朽にした名作「神曲」の「地獄篇」の中で、マストロ・アダモがグイディ家のためにフィレンツェのフロリン金貨を偽造した代償に命を落とした「マストロ・アダモの逸話」でも、ロメーナ城はその名を知られています。

11世紀頃に建てられた堅固な小要塞であった城には、かつて14の塔と3つの城壁から成っていました。現在は城壁の一部と3つの美しい塔のみが残っていますが、城はいまだにその輝きと壮大さを失っていません。城の主塔とはね橋、監獄塔、天守閣、通用門、城の巡警路など、かつての魅力的な姿を留めています。
ロメーナ城の主塔
ロメーナ城の主塔(11世紀頃)
ロメーナ城のはね橋
ロメーナ城のはね橋(11世紀頃)
地理的条件の良さとダンテの追憶のおかげで、カゼンティーノにやって来る誰もがこの歴史ある重要なロメーナ城を訪れると、周りを取り囲む山々のポプラの木々の間を流れるアルノ川の素晴らしい全景に見とれてしまいます。
最近ロメーナで、考古学・武器博物館がオープンしました。歴史・芸術的に高い価値があるエトルリア時代の発見物は、ロメーナ地区ではなく主にウンブリア州やアメリア地方で発見された物です。博物館長の工学者ファッラッティーニ・ポイアーニの管理の下に、細心の注意で保存されています。

館内のグランデ広間には、収集品の一つ一つに目録が作成され、8つのショーケースに展示されています。古生物学や考古学を愛する人々にとって、この博物館は欠かせない存在となっています。アンフォラやクラテル、酒杯、骨壺、芸術的価値の高い貴重なブロンズ像などとともに、興味をそそるエトルリア時代の歯医者が使っていた鉄製器具コレクションが展示されています。隣の武器の間には、新石器時代の矢やシリカ製の短刀とともに、より近代の様々な武器が展示されています。

訪問の最後に、ロメーナの地を訪れた思い出に、またダンテのフロリン金貨偽造の思い出に、金メッキのフロリン銀貨を購入することができます。
上空から見たロメーナ城とロメーナ博物館
上空から見たロメーナ城とロメーナ博物館
プラトヴェッキオのヴァリアーナ地区にあるサン・ロモロ・ア・ヴァリアーナ教会は1126年に建設され、フィレンツェ共和国に移るまで、ロメーナ・グイディ伯爵家が教会を後援しました。

ロマネスク様式の教会は後陣がない唯一の身廊から成り、木製化粧屋根裏天井で覆われ、床面には17世紀の墓石が埋め込まれています。地震、あるいは地盤の地滑りが原因で後陣と内陣の左側が崩れ落ちてしまいましたが、その崩壊した時期ははっきりしていません。

18世紀に教会の大部分が修復され、1984年には元のロマネスク様式に復元されました。教会内の祭壇の後ろには、14世紀末から15世紀初頭にかけてマエストロ・デッラ・マドンナ・ストラウスが描いた、非常に価値の高いタブロー画「受難のシンボルのピエタと聖グレゴリオ、聖ロンジーノ」が保存されています。
サン・ロモロ・ア・ヴァリアーナ教会
サン・ロモロ・ア・ヴァリアーナ教会(12世紀)

プラトヴェッキオのアーマ地区にあるサン・ビアジョ教会は、その起源が11世紀まで遡ります。過去に何度も修復を余儀なくされながらも、カゼンティーノの農村に見られるロマネスク様式の興味深い建築物の一つとなっています。水切り傾斜付きのファサードは、外壁の大部分が修復されています。ゴシック様式の尖塔アーチで上部が飾られた窓は塞がれています。

後陣がある唯一の身廊から成る教会内部は、木製化粧屋根裏天井で覆われています。尖塔アーチで上部が飾られた左側面の扉は塞がれており、正面の半円形明かり取りの窓とともに、元の教会の痕跡を留めています。後陣右手にはアーケード式鐘塔がそびえ、1581年製の2つの鐘が釣り下がっています。
サン・ビアジョ教会内部後陣
サン・ビアジョ教会内部後陣

プラトヴェッキオのロンナーノ地区にあるサンティ・ヴィート・エ・モデスト教会は、その起源が12世紀まで遡ります。後陣がある唯一の身廊から成る教会内部は木製化粧屋根裏天井で覆われ、教会の左横には鐘塔がそびえています。水切り傾斜付きのファサードは、外壁が2つの様式で仕上げられています。より古い外壁の下部は正方形の大きな切り石で覆われ、一方上部はより小さな切り石で覆われています。18世紀製の四角形の正面玄関には、元の教会のアーチ開口部とアーキトレーヴ上部の半円形明かり取りの窓が残っています。

18-19世紀に修復された教会内部には、ベネデット・ヴェリ(1564-1639年)作「跪く聖ヴィートと聖モデスト」の17世紀の油絵2枚が保存されています。これらの油絵は19世紀まで右側面の祭壇に飾られていたものです。
サンティ・ヴィート・エ・モデスト教会
サンティ・ヴィート・エ・モデスト教会

プラトヴェッキオからエレモ・ディ・カマルドリ方面の道路を進むと、古い記憶が蘇るロンナーノ集落があります。フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ修道院の建設中の1013年に、フィレンツェ司教イルデブランドが、カゼンティーノのロンナーノの領主の邸宅にある修道院に贈り物をしたと記されています。

その後、集落の住民たちはポッピのグイディ伯爵家の臣下となり、カマルドリ修道院がグイド伯爵から集落を購入する1116年まで、グイディ伯爵家の支配が続きました。今日集落は山で休暇を過ごす人々の保養地となり、特に夏はその涼しい気候のおかげでたくさんの旅行者がやって来て村が活気づきます。
遠くに見えるロンナーノ集落
遠くに見えるロンナーノ集落

ロンナーノ集落の前に伸びるカマルドリ方面とは別の道路を上っていくと、最初にカザリーノ、次いでヴァラニェージなど小さな集落があります。これらの集落にはかつて多くの住民が豊かな生活を送っていましたが、現在はわずかな住民しか住んでいません。他の多くのカゼンティーノの集落同様、殆ど完全に修復されたおかげで、典型的な石造りの田舎家と伝統的な建築の外観が際立っています。

プラトヴェッキオの近郊には他に、美しいピエーヴェ・ディ・サン・バルトロメオ教会や城跡が残るカステルカスタニャイオ、村の地名からその起源がロンバルド族まで遡るカンポロンバルドなど、カゼンティーノのパノラマ風景を楽しめる小さな集落が数多く点在しています。
遠くに見えるカザリーノ集落
遠くに見えるカザリーノ集落
プラトヴェッキオ市公式サイトから引用(伊語ページ)
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