アレッツォ観光ガイド
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アレッツォの城壁・城塞・古代ローマ円形劇場

古代から城壁に囲まれてきたアレッツォの町は、少なくとも旧市街地はエトルリア時代から城壁に囲まれていました。エトルリア都市国家の中で産業の中心地の一つであったアレッツォは、アルノ川上流地域やアペニン山脈を超えてロマーニャ地方やモンテフェルトロ地方との交易の十字路として栄えました。

当時の人口は1万人を数え、大きな石塊で築いた城壁(紀元前5世紀)で町を取り囲み、今日でもその城壁を見ることができます。城壁は町で最も古い地区の高地(サン・ドナートの丘とサン・ピエトロの丘)を取り囲み、現在のサッソヴェルデ通りからモンテンティーニ通り、アルベルゴッティ通りまで続き、さらに北西方面で合流させるために、メディチ家城塞の向こう側も囲んでいました。城壁は全長2キロメートルに渡って、長方形状に築かれていました。
ドゥオーモ裏手を取り囲む城壁
ドゥオーモ裏手を取り囲む城壁
プラート公園を取り囲む城壁
町の北側(ドゥオーモ裏手)を取り囲む城壁(14世紀)
町の北側(ドゥオーモ裏手)を取り囲む城壁(14世紀)
町の北側(プラート公園)を取り囲む城壁(14世紀)
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
16世紀の重要な軍事施設だったメディチ家城塞は、標高305メートルの平地の頂上にそびえています。大きな多角形状の城塞は、完璧なまでに周囲を取り囲む城壁に溶け込んでいます。現在の城塞はアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネとナンニ・ウンゲロの指揮下で、1538-60年にかけて建設されました。
メディチ家城塞入り口
メディチ家城塞
メディチ家城塞のベルヴェデーレ稜堡
メディチ家城塞入り口(1538-60年)
メディチ家城塞(1538-60年)
メディチ家城塞のベルヴェデーレ稜堡(1539ー40年)

中世の古い要塞跡に建てられた最初の城塞は、射撃の妨げにならないように地盤が平らにされ、16世紀初期にジュリアーノとアントニオ・イル・ヴェッキオのダ・サンガッロ兄弟の設計によって、城塞の大部分が台形の形に組み込まれました。最初の城塞は、東側面にある2つの砦(丸みを帯びた突出部から分かるソッコルソ橋の砦と教会の砦)と外壁の一部にその痕跡を留めています。

新たな城塞は西側面に稜堡(ベルヴェデーレ稜堡、スピナ稜堡、ディアッチャイア稜堡)が築かれ、城内は部屋や回廊、井戸、通風孔などが網状に入り組んだ構造になっていました。
メディチ家城塞の教会の砦
メディチ家城塞の教会の砦(16世紀初期)

最初は城塞に3つの出入り口があり、周りは広い堀が廻らされ、18世紀末期まで城塞は機能していました。1800年に城塞の一部がフランス軍によって取り壊され、その時の強力な爆発が原因でできた亀裂が、今でも城塞の西側面に見られます。

町を見下ろすようにそびえ立つ城塞からは、アレッツォの町並みはもちろん、アレッツォ平野やアルノ川渓谷、プラトマーニョ山脈の山々、ポーティやリニャーノの頂上など、広々とした雄大な眺めを一望できます。
メディチ家城塞の古代ローマ遺跡
メディチ家城塞からのパノラマ
メディチ家城塞からのパノラマ
メディチ家城塞の古代ローマ遺跡(紀元前2-1世紀)
メディチ家城塞からのパノラマ
メディチ家城塞からのパノラマ
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用

ドゥオーモメディチ家城塞の間にあるプラート公園は、町で最も古い市民公園です。何世紀も経た並木に周囲を囲まれ、考古学上非常に興味深い地域にあります。自然のくぼ地が広がる広大な公園は、ドゥオーモ(サン・ピエトロの丘)とメディチ家城塞(サン・ドナートの丘)の2つの丘に挟まれています。何世紀もかけてくぼ地を埋め立て、公園として整備されてきた場所は、19世紀初期からコンサートや円形競馬場、屋外ショー、打ち上げ花火など、市民の憩いの場として利用されています。

ストゥフィ門から城塞南側のベルヴェデーレ稜堡まで広がる現在の公園は、20世紀前半に完成しました。ベルヴェデーレ稜堡の近くで、古代ローマ時代の遺跡が発見されています。1928年には公園の真ん中に、アレッサンドロ・ラッツェリーニ作「フランチェスコ・ペトラルカ」記念像が建てられました。
プラート公園
上空から見たプラート公園
アレッサンドロ・ラッツェリーニ作「フランチェスコ・ペトラルカ」像
プラート公園(19世紀初期)
上空から見たプラート公園
アレッサンドロ・ラッツェリーニ作「フランチェスコ・ペトラルカ」像(1928年)
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用
中世の城壁に囲まれた旧市街地にある古代ローマ円形劇場は、マルガリトーネ通りとクリスピ通りの両方から入ることができます。古代ローマ時代の紀元117-138年にかけて建設された円形劇場は、外壁を地元の採石場で採れた砂岩で覆われ、煉瓦と大理石で造られていました。楕円形の競技場を中心に、周りは階段式観覧席で構成されていました。
古代ローマ円形劇場
古代ローマ円形劇場
古代ローマ円形劇場(紀元117-138年)
古代ローマ円形劇場(紀元117-138年)

専門家によれば、18000人収容可能なアレッツォ円形劇場は71.5メートル×43.8メートルの広さを誇っていました。(ちなみに、コロッセオは85.8メートル×53.6メートルです。)

しかしながら何世紀もの間に、宗教建造物を建てるために略奪や破壊が繰り返されたことから、現在はかろうじてその痕跡を留め、観客席の土台や出入り口の半円天井と階段がわずかに残存しています。

14-15世紀に円形劇場の南脇にオリヴェート修道院とサン・ベルナルド教会が建てられ、修道院は現在「ガイオ・チルニオ・メチェナーテ」国立考古学博物館となっています。
上空から見た古代ローマ円形劇場
上空から見た古代ローマ円形劇場
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
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