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アレッツォの城門

サン・ロレンティーノ門はメディチ家時代に築かれた城壁の4つの城門(サン・ロレンティーノ門、サン・クレメンテ門サント・スピリト門クルチフェラ門)の中で、最も美しい城門と言われています。12世紀初期にピアッジャ・ディ・ムレッロ通りの頂上(現在のプラート公園の近く)に建てられた旧デル・フォロ門の代わりとして、サン・ロレンティーノ門が建てられました。

最初の門は13世紀に築かれた城壁の中、現在のサン・ロレンティーノ通りとガリバルディ通りの交差点に建てられましたが、その後司教グイド・タルラーティ時代の城壁の建設工事中(1317年)に、現在の場所にサン・ロレンティーノ門が移されました。現在の外観はその起源が1644年の改築まで遡りますが、1930年代にわざと古く見せるための修復が行われたため、この見せかけの修復跡も残っています。

1644年以前の城門はシンプルなアーチ開口部が1つあるだけでしたが、1644年の改築工事でより確固とした城門に様変わりしました。1930年代初期には両側のアーチ開口部2つと狭間、屋上の装飾、小回廊が増築されました。砦内の部屋は「ジョストラ・デル・サラチーノ」の参加4地区の一つである、ポルタ・デル・フォロ地区の本部に使われています。

サン・ロレンティーノ地区はその名前から、殉教したアレッツォ出身の2人の聖人ロレンティーノとペルジェンティーノが思い出されます。現に彼らが殉教死した場所(ピアッジャ・ディ・ムレッロ通りとガリバルディ通りの交差点)には、彼らに捧げられた教会が建っており、考古学視点から非常に興味深い地域となっています。

古代ローマ時代の(サンゴ色の壺など)陶器製造工場があった旧ルーガ・マストラ街道(現在のマルコ・ペレンニオ通りからサン・ロレンティーノ通り、ピアッジャ・ディ・ムレッロ通り、リカーソリ通りまで一直線に走る道路)には、エトルリア時代に宗教建造物が存在していたことが確認されています。

神殿の奉納品と思われるキメラの青銅像(紀元前4世紀、フィレンツェ国立考古学博物館所蔵)が、1553年11月15日にサン・ロレンティーノ砦を建設するための発掘作業中に発見されています。今日このキメラはアレッツォのみならず、エトルリア文明の象徴となっています。現在サン・ロレンティーノ門には、青銅のレプリカ像「キメラ」が建っています。
サン・ロレンティーノ門
サン・ロレンティーノ門(1644年)
青銅のレプリカ像「キメラ」
青銅のレプリカ像「キメラ」
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
メディチ家時代の城壁の最も北側に建てられたサン・クレメンテ門は、近くに同名の砦と16世紀半ばに破壊された軍の要塞だったサン・クレメンテ天守閣がそびえていました。城門からはカゼンティーノ方面に向かう国道71号線に接続しています。最初の城門はかなり狭かったことから、19世紀前半に拡張され再建されました。
サン・クレメンテ門
サン・クレメンテ門
サン・クレメンテ門 (16世紀)
サン・クレメンテ門 (16世紀)
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用

13世紀の城壁の北側に建てられた古いポッツォロ門は16世紀に閉鎖されますが、今世紀に入って歩行者専用の散歩道として再開通されました。
サン・ドメニコ教会の裏手にある城門には、サン・ドメニコ広場を通り抜けて歩いて行くことができます。近くにあるサン・ビアジョ門と間違えて混同されないように、現在の城門には古い井戸(あるいは泉)の名前が使われています。

ピエトラマーラ通りから入るサン・ビアジョ門は、16世紀半ばに閉鎖されました。現在はプラート公園の土塀でふさがれていますが、城壁の外側から見ることができます。
ポッツォロ門
ポッツォロ門(14世紀)
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用
城壁の北斜面に建てられたストゥフィ門は、ポッツォロ門とサン・ビアジョ門の中間に開設されました。16世紀のメディチ家城塞の建設の際に、ストゥフィ門は他の2つの城門とともに閉鎖されますが、最近修復が完成し、町の新たな玄関として再開通されました。ドゥオーモ裏手にあるピエトリ通りのアレッツォ市営駐車場(無料)からこの城門を通り、プラート公園を横切って旧市街地の歴史地区まで歩いて行くことができます。
ストゥフィ門
ピエトリ通りから見るストゥフィ門
ストゥフィ門(1317-30年)
ピエトリ通りから見るストゥフィ門(1317-30年)
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用
トレント・トリエステ門
トレント・トリエステ門(16世紀)
サン・ジュースト広場
サン・ジュースト広場

トレント・トリエステ門はアドリア海方面に向かうアンコネターナ街道に接続するために開設されました。元々はフェルディナンダ門、あるいはヌォーヴォ門と呼ばれ、第一次世界大戦後にトレント・トリエステ門と改名されました。

城門外のすぐ南にはサン・ジュースト砦がそびえ、現在は小学校となっています。城門外の北側は城壁が所々残っており、19世紀末期に取り壊された中世のコルチトローネ門(通称クルチフェラ門)の痕跡をわずかに留めています。コルチトローネ門の城郭外にあるサンタ・クローチェ地区の外側(フォンテ・ヴェネツィアーナ通り沿い)には、かつてのサンタ・マリア・ソプラ・イ・ポンティ総合病院(1925年)がそびえていました。

トレント・トリエステ門からは城郭内に向かって、ガリバルディ通りから旧古の聖道へと続いていました。旧古の聖道(現ガリバルディ通りの西側)沿いには教会や礼拝堂、修道院が数多く建ち並び、丘の高地に集中していた13世紀の町を取り囲んでいました。

城門のすぐ近くにはサン・ジュースト広場があり、「ジョストラ・デル・サラチーノ」の参加4地区の一つであるポルタ・サン・タンドレア地区の本部があるガリアルデ通りと交差して、旧市街地で最も古い地区の通り(ガリアルデ通りからフォンタネッラ通り、ピアッジャ・サン・ロレンツォ通り、ペッリッチェリア通りまで続く)が一直線に伸びています。急な坂道が続くこの直線道路は、旧カルド・マッシモ街道と呼ばれ、古代ローマ時代の町を南北に走る幹線道路でした。
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用

14世紀前半のサント・スピリト門は城壁の南西方面に開設されますが、メディチ家時代に入ると城壁が縮小されたことから、16世紀半ばに城門は町のより内側に再建されました。当時城門には「聖母子」像が置かれていましたが、現在はアレッツォ市庁舎の2階に飾られています。

メディチ家時代のサント・スピリト門は、近くのクラリッセ修道院の名前で呼ばれていました。1893年に城門は撤去されますが、撤去前に長い激しい論争が展開されました。城門が撤去された跡地には、新たにサント・スピリト稜堡が建設され、解体されたアーチ門はサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の玄関アーチとして利用されました。この解体事業を皮切りに、ポルタ・サント・スピリト地区の都市開発と道路整備が進み、数年間で地区は完全に近代化されました。

現在サント・スピリト稜堡は「ジョストラ・デル・サラチーノ」の参加4地区の一つである、ポルタ・サント・スピリト地区の本部に使われています。ポルタ・サント・スピリト地区は、旧市街地の南西方面を占める地区です。
1893年に撤去された当時のサント・スピリト門
サント・スピリト稜堡
1893年に撤去された当時のサント・スピリト門(14-16世紀)
サント・スピリト稜堡(19世紀)
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - Luoghi, Monumenti e Palazzi」から引用
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