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アレッツォの教会・聖堂

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、ベネデット・ダ・マイアーノ(1442-97年)設計の回廊とジュリアーノ・ダ・マイアーノ(1432-90年)設計の柱廊に、15世紀に建てられ、後の16-18世紀に大幅改築された修道院とドメニコ・デル・ファットレの設計で建てられた教会(1435-44年)で構成されています。

かつて教会近くのピティリアーノの丘には、古くから奇蹟を起こす泉として人々の信仰を集めていた「屋根つき泉」(Fonte Tecta) がありましたが、1428年に聖ベルナルディーノ・ダ・シエナが人々を説教し、異教の慣行である泉を破壊させました。この泉の跡地に建立されたのが、現在のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。

軽やかで透明感あふれる回廊は、アレッツォのルネサンス建築の代表作と言えます。上品なコリント式円柱と柱頭上部が逆台形の副柱頭が、連続した7つの半円アーチを支えています。柱頭と円柱は1870-71年に修復され、回廊前の階段は1965年の修復工事の際に修復されました。

砂岩で造られた教会は、ゴシック・初期ルネサンスの外観を持ち、簡素でありながら優美な印象を与えます。教会内部(24メートル×8メートル)は小さな身廊に内陣と後陣の2つのスパンから成り、天井は交差ヴォールトで覆われています。

中央祭壇は16世紀初期にアンドレア・デッラ・ロッビア(1435-1528年)によって彫られた価値ある芸術作品です。ロッビアの手法は、彩釉テラコッタの技術を彫刻の世界に取り入れたものです。
祭壇の前部装飾は「ピエタ」像、ティンパヌムは「聖母子と2人の天使」像、壁龕は殉教者「聖ドナート、聖ペルジェンティーノ、聖ベルナルディーノ、聖ロレンティーノ」像です。特に大理石のフリーズに彫られた小天使の頭の優美さに目を奪われます。多彩な彩釉テラコッタの葉や花、果物で縁取られたフレスコ画は、パッリ・ディ・スピネッロ(1387-1453年)の傑作の一つ「慈悲の聖母マリア」(1428-31年)です。

他に右壁面には、ロレンティーノ・ダンドレア(1430-1506年)制作の剥離フレスコ画がわずかに残っています。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会ファサード
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会ファサード(15世紀)
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会内部
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会内部(15世紀)
アンドレア・デッラ・ロッビア制作の中央祭壇とパッリ・ディ・スピネッロ作「慈悲の聖母マリア」
アンドレア・デッラ・ロッビア制作の中央祭壇(16世紀初期)とパッリ・ディ・スピネッロ作「慈悲の聖母マリア」(1430年頃)

教会奥の右手にある聖ベルナルディーノ礼拝堂(ドメニコ・デル・ファットレ作、1450-56年)には、聖ベルナルディーノが所有していた木の十字架と説教壇の一部が保存されています。教会前広場の玄関アーチは、1893年に撤去されたサント・スピリト門をここに移したものです。

教会横広場には柱廊の一部が残っていますが、ヴァザーリによると、ピエロ・デッラ・フランチェスカが町の守護聖人である聖ドナートなど一連のフレスコ画を壁面に描いたとされていますが、現在は殆ど残っていません。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会前の広場の玄関アーチ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会横の広場の列拱廊
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会前の広場の玄関アーチ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会横の広場の列拱廊
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用

1257年に聖アウグストス修陰士たちによって建てられたサン・タゴスティーノ教会は、1341年に拡張されますが、1761-66年にフェラーラ出身の司祭フィリッポ・ジュスティーニ(1702-79年)の設計を基に再建され、ほぼ半分の広さに教会が縮小されました。

新たに整備された教会内部は、身廊とそれを取り囲む2つの側廊から成り、洗練された華やかなロココ様式のスタッコ細工は、スイス南部ティチノ州出身のカルロ・スプローニ・ジュリアーノとフランチェスコ・ルスカが制作しました。教会横にそびえ立つ美しい四角形の鐘塔は、15世紀後半に完成しました。

当時はまだ聖アウグストス修道士だったマルチン・ルターが、1510年にローマへの旅の途中で立ち寄ったこの教会でミサを執り行ったと伝えられています。
サン・タゴスティーノ教会ファサード
サン・タゴスティーノ教会内部
ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「聖ジュリアーノ」
サン・タゴスティーノ教会ファサード(1761-66年)
サン・タゴスティーノ教会内部(1761-66年)
ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「聖ジュリアーノ」(1445年頃、サンセポルクロ市立美術館所蔵)

教会内には17世紀前半に活躍したアレッツォ出身の画家ベルナルディーノ・サンティーニ制作の油絵2枚(17世紀)や、ルドヴィーコ・パーチ制作の木彫内陣席(1771年)など、価値ある作品が保存されています。アレッツォ出身の画家ドメニコ・ペコリとニッコロ・ソッジ制作のタブロー画「キリスト割礼の日」は、1922年に何者かに盗まれた後、ばらばらに発見され、再び木板にはめ込まれました。(その痕跡が今でも残っています。)

1954年には教会後陣で、ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「聖ジュリアーノ」(1445年頃)の剥離フレスコ画が発見され、現在はサンセポルクロ市立美術館に展示されています。
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用

町の目抜き通りイタリア通りの途中にある、サン・ミケーレ広場に面して建つサン・ミケーレ教会はロマネスク・ゴシック様式で、ファサードは1931年に建築家ジュゼッペ・カステッルッチによって建てられました。

教会内にはネーリ・ディ・ビッチ(1419-91年)制作の貴重なタブロー画「玉座の聖母子と大天使ミカエル、聖ベネディクト、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ロムアルド」(1466年)が保存されています。
サン・ミケーレ教会ファサード
サン・ミケーレ教会内部
サン・ミケーレ教会ファサード(1931年)
サン・ミケーレ教会内部(14世紀前半)
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
サン・ジミニャーノ教会の起源は中世初期まで遡り、教会を言及している最初の資料によると1030年まで遡ります。その後13世紀に再建されますが、現在の教会は18世紀半ばの改修と19世紀の修復によるものです。
教会内部は18世紀様式の良い一例で、スタッコ細工で飾られた壁と天井、中央祭壇と美しい寄せ木細工の十字架上のキリスト像は、その起源が18世紀まで遡ります。内陣には18世紀のサルヴィ・カステッルッチの油絵2枚が飾られ、後陣は建設当初のロマネスク様式の構造となっています。
サン・ジミニャーノ教会ファサード
サン・ジミニャーノ教会ファサード(18世紀)
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - La citta' nascosta」から引用
エトルリア時代の城壁が残るピアッジャ・サン・バルトロメオ通りにあるサン・バルトロメオ教会は、おそらく古代の多神教時代の神殿の基壇だと思われる城壁の上に建っています。
教会は初代キリスト教時代、あるいは中世初期に建設され、中世に入ると数多くの芸術作品で教会内部が飾られました。しかし、1583年には既に教会の保存状態がかなり悪い状況に陥っていました。現在の外観は、16世紀末期から17世紀初期にかけて行われた修復によるものです。
小さな教会内には最近修復されたアンドレア・ディ・ネリオの作と思われるフレスコ画群「聖トンマーゾ ・ディディモの生涯」が保存されています。聖水盤として使われていた7世紀の小さな柱状の物も残っており、おそらく最初の神殿にあったものと思われます。
サン・バルトロメオ教会ファサード
サン・バルトロメオ教会ファサード(16世紀末期-17世紀初期)
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - La citta' nascosta」から引用
サン・ジュゼッペ教会は17世紀末期に、サン・ジュゼッペ・デル・キアヴェッロ修道会によって建立されました。教会正面のサラチーノ通りから教会横のマルチャネッロ小通りに曲がる角に彫られた石碑から、建立された日付が読み取れます。
18世紀初頭の数十年間に渡って教会は適度なバロック様式で拡張され、まるで宝石箱が大きくなったような価値ある小さな教会に生まれ変わりました。
木製天井で覆われた教会内部は軽やかなスタッコ細工で装飾され、かつてのサン・ジュゼッペ病院に飾られていた彫像「聖アントニオ修道院長」が保存されています。フィレンツェ出身の彫刻家ナンニ・ディ・バルトロ(1419-51年頃)と非常に近い血縁を持つ彫刻家の作品と思われます。
サン・ジュゼッペ教会ファサード
サン・ジュゼッペ教会ファサード(18世紀初期)
※アレッツォ市公式サイト「Turismo - La citta' nascosta」から引用

サンタ・マリア・マッダレーナ教会と付属の修道院は、その起源が14世紀まで遡ります。ジョルジョ・ヴァザーリと思われる設計を基に、1561年に教会が拡張されました。この同時期にメディチ家コジモ1世の命令によって、司教の権力の象徴であり、都市国家アレッツォの象徴でもあったピオンタの丘の旧ドゥオーモが破壊されました。アレッツォの民衆はこの破壊から、旧ドゥオーモに飾られていたフレスコ画「聖母マリア」像を救い出しました。パッリ・ディ・スピネッロによって描かれたこの肖像画は、当時「バラの聖母マリア」、あるいは「花の聖母マリア」と呼ばれ、人々から深い信仰を集めていました。

「バラの聖母マリア」肖像画はサンタ・マリア・マッダレーナ教会に運ばれた後、18世紀に旧古の聖道(現ガリバルディ通り)にあるサンティッシマ・トリニタ教会から移された石製の祭壇に飾られました。この祭壇は16世紀初期に、ギョーム・ド・マルチラの設計でサンティ・スビッソによって彫られました。18世紀にサンタ・マリア・マッダレーナ教会に移された際に、簡素な祭壇はバロック様式のスタッコ細工で飾られ、今日でもそれを見ることができます。

※アレッツォ市公式サイト「Turismo - La citta' nascosta」から引用
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