アレッツォ観光ガイド
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アレッツォの教会・聖堂

考古学上非常に興味深い地域(古代ローマのM.ペレンニウスやM.コルネリウス、ラシニウスの陶器製造工場があった旧ルーガ・マストラ街道)に建つサンタ・マリア・イン・グラーディ教会は、元々中世初期に建てられた古い教会の廃墟の上に、1050年以降11-14世紀にかけて(修道士アルビッツォーネの設計によって)建造されました。

教会横にあったカマルドリ修道院は、1783年にトスカーナ大公レオポルド1世によって廃止され、現在は小さな回廊で囲まれた中庭のみが残っています。その後教会はバルトロメオ・アンマンナーティ(1511-92年)の綿密な設計(1591年)を基に、17-18世紀にかけてマニエリスム様式で再建されました。シンプルで直線的なファサードを持つ教会の外観は1605年に完成し、鐘塔は1631年に完成しました。壮大で唯一の身廊から成る教会内部は、17-18世紀にかけて完成しました。

広くて明るい唯一の身廊には翼廊がなく、側壁の礼拝堂は奥に引っ込んでいます。(作業はフィレンツェ出身のマッテオとアレッサンドロのベッティ兄弟によって行われました。)側壁は床面より高く、後陣はさらに高くなっています。

アティック式柱礎とドーリア式柱頭を持つ8本の付け柱が、壁面に浅く張り出しています。これらの付け柱が軒蛇腹によって上部の小さな付け柱と分けられ、さらにこれらの小さな付け柱が、1710年にG.B.ベッティーニによって制作された木製の格天井を支えています。付け柱に仕切られた壁面に描かれたフレスコ画「キリストの十二使徒」は、1992年に修復されました。

教会の地下にはロマネスク様式の地下聖堂(9-11世紀)があり、かつて聖人の遺体が置かれていたことから地下墓地とも呼ばれています。2つの小身廊がある地下聖堂は、最初のロマネスク様式の教会の一部で、その上に現在の教会が横向きに建てられました。900年代初期の祭壇に飾られた「十字架上のキリスト」(13世紀)は、当時町の人々の深い信仰を集めていました。(身廊左側面にある階段から、地下聖堂に降りることができます。)

中央祭壇前の床面には、かつての修道士たちの共同墓地の墓碑が埋め込まれています。中央の床面には「聖ドナートの井戸」と呼ばれる井戸の入り口があり、そこから汲み上げた水は、敬虔なキリスト教徒のアレッツォ人たちから「奇跡の水」と信じられていました。
サンタ・マリア・イン・グラーディ教会ファサード
サンタ・マリア・イン・グラーディ教会ファサード(1605年)
サンタ・マリア・イン・グラーディ教会内部
サンタ・マリア・イン・グラーディ教会内部(17-18世紀)

身廊左側面の一番手前の祭壇に飾られた、巨匠アンドレア・デッラ・ロッビア(1435-1525年)とその工房が制作した彩釉テラコッタ「慈悲の聖母マリアと聖ピエトロ、聖ベネディクト」は必見です。

他に注目できる作品は、アレッツォ出身の画家ベルナルディーノ・サンティーニが制作した、身廊右側面の祭壇画「聖母被昇天と聖ロムアルド、聖グレゴリオ」(1633年)と身廊左側面の祭壇画「十字架上のキリストに聖ボニファチョと聖アンドレアの生涯、聖歌天使」(1629年)です。身廊右側面の小祭壇に飾られた油絵はベルナルディーノ・サンティーニとサルヴィ・カステッルッチの作品群で、その中の一つは「聖家族と聖ジュセッペ、聖ベネディクトの生涯」、聖歌隊席の半円状の油絵はサルヴィ・カステッルッチ作「栄光の賛歌と天使たち、音楽の寓意画」(1654年)です。

サンタ・マリア・イン・グラーディ教会の地下聖堂
アンドレア・デッラ・ロッビア作「慈悲の聖母マリア」
身廊左側面の階段から下りるサンタ・マリア・イン・グラーディ教会の地下聖堂(9-11世紀)
身廊左側面の一番手前の祭壇を飾るアンドレア・デッラ・ロッビア作「慈悲の聖母マリア」(15世紀)
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用

かつて「旧古の聖道」と呼ばれ、周囲には教会や礼拝堂、修道院が建ち並び、中世の町のほぼ半分を取り囲んでいたガリバルディ通りの西側に、最も重要な宗教建造物の一つでルネサンスの傑作とも言えるサンティッシマ・アヌンツィアータ教会が建っています。

現在の教会は、1490年2月26日に起こった奇跡のできごとを祝うために建造されました。他の信者会同様、サンティッシマ・アヌンツィアータ女子修道会は14世紀初頭に創設され、1349年に小礼拝堂が建てられました。この小礼拝堂には、当時町で活躍していた偉大な画家スピネッロ・アレティーニ(1350年頃-1411年)制作のフレスコ画「受胎告知」が保存されています。この「受胎告知」は今もなお、現教会の正面右側の入り口上部の壁龕で見ることができます。
サンティッシマ・アヌンツィアータ教会ファサード
サンティッシマ・アヌンツィアータ教会ファサード(13-16世紀)
1444年にフィレンツェ共和国の書記官だったアレッツォ出身のカルロ・マルスッピーニは、彼が入信していたこの修道会に聖母マリア像を寄贈し、小礼拝堂の祭壇に飾られました。
1490年2月26日のひどい嵐の晩に、この聖母マリア像が涙を流し、悲しむ姿を見た人々は奇跡が起きたと信じました。あの晩以来この聖母マリア像は「涙のマドンナ」と呼ばれ、人々は「涙のマドンナ」にふさわしい聖堂を建立することにしました。
スピネッロ・アレティーニ作「受胎告知」
正面右側の玄関上部の壁龕を飾るスピネッロ・アレティーニ作「受胎告知」(1370-75年)
アントニオ・ダ・サンガッロ設計の柱廊玄関
アントニオ・ダ・サンガッロ設計の柱廊玄関(1523年)

この建設計画はバルトロメオ・デッラ・ガッタ(1448-1502年)に任された後すぐに、ジュリアーノとアントニオのダ・サンガッロ兄弟に引き継がれました。特に後者のアントニオ・ダ・サンガッロ(1455年頃-1534年)は、最初の教会の輪郭を残しつつ、それと調和の取れた新しい教会を建てることに尽力しました。工事は16世紀全般に渡って困難と中断の中で続けられましたが、決して完成することはありませんでした。

未完成のファサードは、上塗りされていない石壁がむき出しのままになっています。3つの正面玄関のうち、かつての小礼拝堂の入り口(13世紀)だった右側の玄関上部に、スピネッロ・アレティーニ作「受胎告知」が保存された壁龕があります。教会の後陣とアーケード式鐘塔(1736年)、クーポラ(1514年)はレオーネ・レオーニ通りから見ることができます。

教会内部は身廊とそれを取り囲む2つの側廊から成り、砂岩でできた柱頭付きの角柱で仕切られています。身廊の手前には、1513年にアントニオ・ダ・サンガッロによって設計された非常に美しい柱廊玄関があります。この柱廊玄関は最初の小礼拝堂が持つ正面の輪郭に、後にバルトロメオ・デッラ・ガッタが設計した新しい教会を調和させるために考案されました。

中央祭壇にはミケーレ・ダ・フィレンツェ(1403年頃-41年)作と思われる、奇跡の「涙のマドンナ」のテラコッタ像(1430年頃)が飾られています。左側廊の一番手前の祭壇には、ロッソ・フィオレンティーノ(1495-1540年)の下絵を基に、若き日のジョルジョ・ヴァザーリ(18歳)が描いた「キリスト降架」(1529年)が保存されています。

他に注目できる作品は、ギョーム・ド・マルチラ(1468-1529年頃)制作のステンドグラスや、右側廊の最初の祭壇画はテオフィロ・トッリ(1554-1626年)作と思われる「キリストの磔刑」、2番目の祭壇画はベルナルディーノ・サンティーニ(1593-1652年)作と思われる「聖痕を受ける聖フランチェスコ」、左側廊の一番奥のパイプオルガンと聖歌隊席の下の祭壇画はニッコロ・ソッジ作「東方の三博士の礼拝」(1521年)が保存されています。
ミケーレ・ダ・フィレンツェ作「涙のマドンナ」像
ジョルジョ・ヴァザーリ作「キリスト降架」
中央祭壇に飾られたミケーレ・ダ・フィレンツェ作「涙のマドンナ」像(1430年頃)
左側廊の一番手前の祭壇を飾るジョルジョ・ヴァザーリ作「キリスト降架」(1529年)
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
バディア教会ファサード
バディア教会ファサード(17世紀初期)
アンドレア・ポッツォ作「偽クーポラ」
内陣を覆うアンドレア・ポッツォ作「偽クーポラ」(1702年)

現在の教会はジョルジョ・ヴァザーリの設計(1565年)を基に、最初のゴシック様式の美しい教会に根本的な改修を加えながら、17世紀初期に建造されました。最初の教会は1196年にアレッツォ近郊のオルモのトッリタの丘から町に移転を強いられたベネディクト修道士たちによって、修道院の横に13-14世紀にかけて建てられました。
14-15世紀の礼拝堂や壁龕、フレスコ画で飾られたこの教会は、殉教した聖女フローラと聖女ルチッラのために建立されました。1983-84年に修復された八角形の鐘塔は、17世紀半ばに修道院長グレゴリオ・リッチャルデッリの設計を基に建てられました。ファサードの両開き式大窓や正面玄関横に、今もなお最初の教会の痕跡が残っています。

遠近法を用いた動的な教会内部は、ヴェネト地方の建築様式に影響を受けたマニエリスム様式となっています。身廊とそれを取り囲む2つの側廊から成り、3本の角柱と緩やかなヴォールトで覆われた同じサイズの4つのスパン(径間)で構成されています。
教会中央の内陣を覆う偽クーポラ(だまし絵)は、アンドレア・ポッツォ(1642-1709年)が1702年に制作したもので、1992年に修復されました。教会中央の床面の小さな穴の上に立って天井を見上げると、偽クーポラをじっくりと観察することができます。
中央祭壇は巨匠ジョルジョ・ヴァザーリが自分と家族のための墓碑としてピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会に建てた祭壇で、1865年にバディア教会に移されました。15世紀の前部装飾には「聖女フローラと聖女ルチッラ」が彫られています。
右側廊の壁面に飾られた、セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ(1298-1327年頃)作「十字架上のキリスト」(1319年)は、かつてのゴシック様式の教会の中央祭壇に飾られていました。
ジョルジョ・ヴァザーリ制作の中央祭壇
セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ作「十字架上のキリスト」
ジョルジョ・ヴァザーリ制作の中央祭壇
右側廊のセーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ作「十字架上のキリスト」(1319年)

他に注目できる作品は、正面玄関内側の扉の左側にバルトロメオ・デッラ・ガッタ(1448-1502年)作「聖ロレンツォ」(1476年)、左側廊にベネデット・ダ・マイアーノ作と思われる大理石製の壁龕(1478年)、ヴォールトにベルナルディーノ・サンティーニ作「聖ベネディクト伝」、右側廊の3番目の祭壇画にドメニコ・ペコリ(1480年頃-1535年)作と思われる「聖母子と聖マウロ、聖女ルチア」、聖具室にジュリアーノ・ダ・マイアーノ作と思われる長さが13メートルもあるクルミ材の長い机(1450年)が保存されています。

後陣の右壁面を飾るのはジョルジョ・ヴァザーリ作「被昇天」(1567年)、左壁面はテオフィロ・トッリ作「聖母マリアと天使たち」が飾られています。
バルトロメオ・デッラ・ガッタ作「聖ロレンツォ」
正面玄関内側の左壁面に描かれたバルトロメオ・デッラ・ガッタ作「聖ロレンツォ」(1476年)
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
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