アレッツォ観光ガイド
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アレッツォの教会・聖堂
ドゥオーモファサード
ドゥオーモファサード(1900-14年)
ニッコロ・ディ・ルカ・スピネッリ制作のテラコッタ像「聖母子」「聖ドナート」「福者グレゴリオ5世」
南側正面玄関の上壁面を飾るニッコロ・ディ・ルカ・スピネッリ制作のテラコッタ像「聖母子」「聖ドナート」「福者グレゴリオ5世」(14世紀)

南から見た中世のアレッツォの町並みは、大きな船の船首のような姿をしていました。今日町のシンボルであるドゥオーモは、鐘塔の尖塔とともに歴史地区の上にそびえ立っています。ペスカイオーラ陸橋から見る旧市街地は、城壁や塔、屋根がまるでドゥオーモを抱きかかえるかのように周りを取り囲んでいます。

ドゥオーモがそびえるサン・ピエトロの丘の頂上にはかつて、殉教したキリストの十二使徒に奉納された初代キリスト教の聖堂が建っていました。中世に入ると、町の行政府と司教の間の対立が深まる中で、1203年初めに教皇インノチェンツォ3世は、司教公邸をピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の近くに移しました。その結果ピオンタの丘の旧ドゥオーモは放置され、サン・ピエトロの丘の教会は聖堂としてふさわしくないとの判断から、教皇インノチェンツォ3世は町の城壁の中で新たに大聖堂を建立する必要性を感じました。

1276年1月10日にアレッツォの司教公邸で死去した教皇グレゴリオ5世が残した莫大な遺産(3万フロリン金貨)のおかげで、1278年に新ドゥオーモの建設が着工されました。その後カンパルディーノの戦い(1289年6月10日)で敗れた司教グリエルミーノ・デリ・ウベルティーニの戦死に伴い、工事は一時中断されますが、新司教グイド・タルラーティ(在位:1312-27年)の支援の下で14世紀初期に工事が再開されます。

1471-1510年に最初の建設計画が達成された後、続いて(16-17-18世紀)聖堂内の改修と増築(ジョルジョ・ヴァザーリ設計の聖歌隊席と木製の聖職者内陣席、ギョーム・ド・マルチラ制作のステンドグラスとフレスコ画、サルヴィ・カステッルッチ制作のフレスコ画、テオフィロ・トッリ制作の祭壇、「慰めの聖母マリア」礼拝堂)が行われました。

大聖堂の建物は砂岩でできています。大聖堂のファサードは1900-14年にダンテ・ヴィヴィアーニの設計を基にネオゴシック様式で建てられ、中央玄関の上部は尖端部「救い主イエス・キリスト」像(G.カッシォリ作)とアレッツォゆかりの聖人たちの像で飾られています。

大聖堂の南側面は今もなお、最初の教会の痕跡を留めています。古代ローマの公衆浴場跡から運ばれた斑岩製の半円柱2本に囲まれた美しい正面玄関(1330-80年頃)は、尖端部にサルヴィ・カステッルッチ作「神(創造主)」(1650年)の剥離フレスコ画、半円形の壁面にニッコロ・ディ・ルカ・スピネッリ(1350年頃-1423年頃)作と思われる「聖母子」「聖ドナート」「福者グレゴリオ5世」のテラコッタ像3体が残っています。

大聖堂の正面階段(1524年、ギョーム・ド・マルチラ制作)の上には、ジャンボローニャの設計をフランカヴィッラが制作したトスカーナ大公フェルディナンド1世の記念像(1595年)が建っています。
ドゥオーモ内部
ドゥオーモ内部(13-18世紀)
聖ドナートの石棺
中央礼拝堂の「聖ドナートの石棺」(14世紀後半)
ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「マッダレーナ」
左側廊奥のピエロ・デッラ・フランチェスカ作「マッダレーナ」(1459年頃)
司教グイド・タルラーティの墓碑
左側廊奥の司教グイド・タルラーティ(1327年没)の墓碑(1330年)

13世紀の多角形の外観を持つ後陣には、3つの両開き式窓が突き出ています。現在の鐘塔は以前の(16世紀に大聖堂の正面右側に建てられた後、17世紀に後陣の上に移された)アーケード式鐘塔に代わるもので、ルイジ・メルカンティの設計を基に1857年12月-1859年1月にかけて建設されました。屋根の装飾と尖塔は、1934-37年にジュゼッペ・カステッルッチの設計によって増設されました。

身廊とそれを取り囲む2つの側廊から成る大聖堂の内部(67メートル×23メートル)には翼廊がなく、角柱の束とゴシック様式のアーチに支えられ、交差ヴォールトに覆われた5つのスパン(径間)で仕切られています。

右側廊のチュッチォ・タルラーティ礼拝堂(14世紀)は、14-15世紀に建てられた26個の礼拝堂の中で現存している唯一の礼拝堂で、1334年にジョヴァンニ・ダゴスティーノによって建てられました。礼拝堂のフレスコ画「十字架上のキリストと聖ジョヴァンニ、聖フランチェスコ、聖母マリア、聖ミカエル」は、14世紀前半に町で活躍していたマエストロ・デル・ヴェスコヴァードと言う作家の素晴らしい作品です。象徴模様が描かれた4世紀の石棺も、注目に値する作品です。
右側廊の壁面上部にある両開き式の大窓を飾る光と色の芸術ステンドグラスは、ギョーム・ド・マルチラ(1468年頃-1529年)制作の卓越した傑作です。手前から1番目の大窓には「聖マタイの召命」(1520年)、2番目には「イエス・キリストの洗礼」(1519年)、3番目には「大聖堂から追放された冒涜者」(1524年)、4番目には「姦通」(1524年)、5番目には「聖ラザロの復活」(1520年)が描かれています。ギョーム・ド・マルチラの他の作品は、正面玄関内側の円花窓を飾る「精霊降臨」(1518年)、身廊の手前3つのヴォールトを飾る「創世記」、左側廊の1番目のヴォールトを飾る「新約聖書物語」があります。
中央礼拝堂にある大きな大理石製の祭壇画は、キリストの十二使徒の像が刻まれた浅浮き彫りの壁龕と尖頭状の装飾で構成されています。この礼拝堂はアレッツォ2代目司教で殉教した聖ドナートの遺体を安置するために建てられたもので、聖ドナートを始め、アレッツォゆかりの他の殉教者たちや聖人たちのために建立されたのがドゥオーモです。「聖ドナートの石棺」と呼ばれるこの祭壇画は、(ジョヴァンニ・フランチェスコ・ダ・アレッツォ、ベット・ディ・フランチェスコ・ダ・フィレンツェ、アゴスティーノ・ディ・ジョヴァンニ、アニョーロ・ディ・ヴェントゥーラなど)14世紀後半のアレッツォやフィレンツェ、シエナ出身の芸術家たちの集大成とも言える作品です。
「慰めの聖母マリア」礼拝堂
左側廊の「慰めの聖母マリア」礼拝堂(1796-1817年)

後陣の側面上部のステンドグラスの絵は、アレッツォ出身のドメニコ・ペコリの作品(1517-19年)です。中央礼拝堂の左側にある聖シルベストロ礼拝堂には、福者グレゴリオ5世の遺骸が納められた棺が置かれ、ギョーム・ド・マルチラ制作のステンドグラス「聖シルベストロと聖女ルチア」(1516-17年)が飾られています。

左側廊奥の聖具室に入る扉の横に描かれた、ピエロ・デッラ・フランチェスカ制作のフレスコ画「マッダレーナ」(1459年頃)は必見です。左側廊には他に、シエナ出身のアゴスティーノ・ディ・ジョヴァンニとアニョーロ・ディ・ヴェントゥーラが制作した司教グイド・タルラーティ(1327年没)の墓碑(1330年)や、ジョルジョ・ヴァザーリ設計の聖歌隊席(1535年)が保存されています。

鉄柵で仕切られた「慰めの聖母マリア」礼拝堂(1796-1817年)には、地元の人々に愛され続けてきた「慰めの聖母マリア」像が中央祭壇に飾られています。1796年2月15日に起こった奇跡は、サン・クレメンテ地区のヴェッキア通りの居酒屋に飾られていた聖母マリア像が、地震の恐怖に慄くアレッツォの人々を慰めるために、突然白くなり、涙を流し、光り輝いたと伝えられています。中央祭壇と横の祭壇には、ロッビアの彩釉テラコッタの祭壇画が飾られています。
ギョーム・ド・マルチラ作「イエス・キリストの洗礼」
ギョーム・ド・マルチラ作「精霊降臨」
右側廊の2番目の大窓を飾るギョーム・ド・マルチラ作「イエス・キリストの洗礼」(1519年)
正面玄関内側の円花窓を飾るギョーム・ド・マルチラ作「精霊降臨」(1518年)

このように壮大なゴシック建築の大聖堂であるドゥオーモには、アレッツォゆかりの著名人に捧げられた歴史的価値のある礼拝堂や墓碑がたくさんあり、それらを飾る彫刻やフレスコ画など価値の高い芸術作品が数多く保存されています。

ドゥオーモに隣接する司教座聖堂資料館には、羊皮紙写本(7-18世紀)や公記録、公文書、司教座聖堂参事会の法令集、その他様々な写本など11000冊以上が保存されています。また司教区宗教美術館では、芸術・歴史的に価値の高い芸術作品を数多く所蔵しています。
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
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